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佐賀米の歴史

佐賀県には、現在確認できるもののなかでは日本で最も古い、縄文時代晩期の水田跡がある菜畑遺跡(唐津市)や、米を保管する倉庫等の建物跡が見つかった弥生時代の吉野ヶ里遺跡(神埼市)などの史跡があります。このことから、古くから稲作を行っていたことがうかがえます。

 

佐賀県は、山地の面積が小さく平野を流れる川が少ないため、稲作を行うための水が不足していました。そこで、クリークと呼ばれる水路を整備し、広大な佐賀平野での稲作が栄えました。昭和初期かけては全国一の反収量となり、この発展は「佐賀段階」と呼ばれ全国から注目されました。

 

そのような歴史を持つ佐賀県で、オリジナル品種育成が始まったのは昭和63年のことです。当時、佐賀県の銘柄米はコシヒカリ、日本晴、黄金晴、ミナミニシキの4品種でした。

 

その中でも良食味品種のコシヒカリ、日本晴の栽培面積は主要産地に比べ低い傾向にありました。この理由として、佐賀県の環境条件にあった銘柄品種が無いことも要因の1つでした。そのため、佐賀県産米の評価を高めるには良食味であるコシヒカリの作付け拡大と、佐賀県の環境条件にあった良食味品種の早期育成が急務でした。

 

そこで佐賀県農業試験研究センターでは、コシヒカリに加えて平坦部でも適応できる品種として、平成2年に「佐賀1号」が開発されました。続いて「さがうらら」「さがの華」「夢しずく」「天使の詩」「たんぼの夢」と品種育成を進め、平成20年に「さがびより」が誕生したのです。

 

佐賀平野

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